2011年5月17日火曜日

NDLの方に解説してもらいながら見たいビデオ

こんな辺境のブログをご覧になる方なら
国立国会図書館の紹介ビデオが存在することは既にご存知でしょうか。


企画・監修:国立国会図書館、
製作・発売:紀伊國屋書店、製作協力:ポルケという王道の組み合わせにより
1994年に製作されたVHSビデオで、
1巻:機能と役割(22分)、2巻:所蔵資料(22分)、別巻:利用案内(7分)の全3巻構成。
("LIBRARY VIDEO SERIES"の下位シリーズ)


なかなか気になるでしょう?


特に"1994年"、つまり17年前の製作などと聞いたら
現在とどこが違うのか、期待しながら見るしかないですよね?


というわけで、そんな期待をこめつつメモ。

  • 当時は20歳以上しか利用ができなかったらしい(今は原則として18歳以上が利用可能
  • 冊子体目録、カード目録、コンピュータ目録を紹介しているがNDL-OPACという言葉は出てこないような…?コンピュータ目録も、黒い背景に黄色や緑色の文字が表示されるあたりに時代を感じる。
  • 国際子ども図書館、関西館は出てこない(ただし国際子ども図書館の前身である"支部上野図書館"は少しだけ登場)
  • 図書館学資料室ってのがあるらしい。見たことないと思いつつ調べてみたけど、やっぱり見つからない。もしかして今はない…?
  • 文部省科学研究費報告書を所蔵していると紹介されていた。現在NIIでKAKENというデータベースが公開されていることを考えると、もはやただの歴史資料みたいな位置づけなのかも…? 
  • 2巻で「原子炉設置許可申請書を所蔵している」と紹介されていた(数十秒触れただけ)。最近の関心ごととは無縁な意味で紹介していたのは間違いないだろうが、興味深い資料だ。


気がついたら内容についてメモ取ってなかったけど、別にいいかな。

「誰のため」とか「何のため」とか本質的な部分は
現在でもそれほど変わってないため授業で見せてもいいのだけれど、

テキストや口頭の説明で足りる程度の量だったし、
どちらかというと「現在との比較」に重点を置いて使うのが良さそうです。

それ以外には面白い設備がちょっと見られる程度だし。


うーん… 見学へ行った後にビデオを見ながら間違い探しをするってのも捨てがたい。

(↑アニマシオンのネタ。「間違い探しが大事なんじゃない! 読書に集中させる効果が大事なんだ!」と怒られるかもしれないが、その時は華麗にスルー。)



そのほかの用途として、タイトルに書いたような企画、
「NDL現職の方に現在との違いを解説してもらうビデオ上映会」も面白そうだと思いました。


現在の見学者にもビデオで利用案内をしているようですので、
それと比較をするというのも捨てがたいですが、


今とはどこが違うか、なぜ違ってしまったか、
困っている点はどこか、将来はどんな形が良いのか、
などの話が聞けるのであれば、なかなか魅力的な企画だと思います。


面白さの保証はできないけど、
忙しい僕に代わってどなたかそんなイベント開いてくださらないですかね…?

2011年5月7日土曜日

帰省話

通常は図書館関係のわき道にそれた部分を掘り下げるこのブログですが
今回は個人的な記録を。

わーすごーい ブログっぽーい


理由はいろいろあるけれど、
個人レベルで行う活動として「公式の記録に残らないものを残す」
というのもありかと思いましてね。


動画や写真は心が砕かれるほど出回っていても
「普通の人が感じた話」は探しにくい。
オーラルヒストリー(というほど大層なものではない)が
ほんの少しだけ後世の役に立つ可能性を考慮して書くことにしました。

帰省先は福島県相馬市。
期間は4月29日から5月4日まで。
情報源は家族、親戚と友人達、自分で見たモノです。

全てが事実であるとは断言できないけれど、
(見間違いなどもありうるから)
話してくれた人たちが疑うべき人間でないことだけは保証しますよ。


救われる話
  • すでに2ヶ月近く経っているせいか思ったより落ち着いていた。ブロック塀が倒れている家もあるものの市街地はすでに何事もなかったかのよう。風景も人間もいつも通りに感じる。テレビで放送していたのはインパクトの強い部分のみであることがわかった(広範囲にわたって被害がでているのは確かだけれど)。
  • 道路の陥没した部分は、自衛隊が素早く埋めてくれたおかげで応急処置済み。いたる所に段差はあるが、走れないほどのところは稀にしかない。
  • 大気中の放射能について騒いでいる人は見かけなかった。ただしテレビをつけると非常時に出る枠外の部分が出ていて、環境放射線量やそのほかの情報について流している。
  • 福島民友の朝刊最終面(通常時のラジオ・テレビ欄)には避難所にいる人たちのコメントがあった。なんか元気が出る(GW前くらいまで)。ただし夕刊は知らない。河北新報と福島民報については未確認。
  • 船を出せなくなって解雇された漁師達は転職を模索している場合もある。とりあえず鳶や瓦礫の片付けなどをすべく動いている人もけっこういる。強いなぁ。
  • 仮設住宅への入居が一部で始まった。これで少しはアパートも空くだろう。仮設住宅の敷地に大きな鯉のぼりが立てられていたことにとても和んだ。
  • 読売巨人軍関連で有名な肉屋さんは対応も良くて有名。
  • 原釜、尾浜あたりの瓦礫はだいぶ片付けられた。動画などで見る初期段階は瓦礫の上を歩いていた様子だけど、今は道もある。
  • 陸自、警察などの災害派遣や応援多数。挨拶すると返してくれる。



酷な話
  • 実家も同居家族全員も失った友人が心の疲れで休職していた。遺産の問題も含めてなおさら大変だった様子。他の人にもそんなことは起こっているのかも…。
  • 今まで見えなかった場所から海が見える。理由は津波によって防風林・防砂林・建築物がなくなったため、それと地盤が沈下したり堤防が決壊して海が広がったため。夜海側を見ると遠くまで暗闇だけが広がっていて落ち込む。津波怖い。
  • 市の職員はとても忙しい。GWも返上になるらしい。震災直後は徹夜とか仮眠程度で長時間活動したり…。本当にお疲れ様です。
  • 磯部地区の低いところは本当に何もなくなってしまっている。まだ片付けもあまり進んでいなかった様子(捜索は終わっていると思うけど)。でも水は引いた。
  • 現在のガソリン価格はレギュラーでリッター150円前後。
  • 一時的な瓦礫置き場とされている所に積まれた瓦礫の量が…。思わず口から「ここは夢の島じゃねえんだぞ…」とこぼれる。やはり見ると落ち込む。



怪しげな噂話
  • 津波で流された家の冷蔵庫やタンスに金がある、また、それを探している人もいるという噂
  • 3月11日に国道6号線より東は危ないと言う話が出回っていたがそれは不適切。たぶん6号バイパスの方から見たんだろうけど、そこより東のすべてが駄目になってるわけでもないので不正確という表現が正しい。
  • 避難所を中心に「プレートが元にもどるとされている3ヶ月後に再び大きな地震がくるのでは?」という噂が出回っているらしい。真偽はわからないが、備えておくのが吉かもしれない。



ありがちな話
  • 震災で物資がなくなった時に足下を見て値上げをした店の評判はすごく悪い。かなり広まるっている。買い物したくないと言われる店って…。
  • 一番大切なのは、この震災を風化させないこと。
  • 避難所暮らしはプライバシーがなく耐え難いらしい。けっこう酒を飲んで帰ってきたりもするとか。



残念な話
  • 様々な混乱により行政情報が上手に広報されていない。高齢社会の上、パソコンが流されたりした人もいるのに「インターネットで見てください」は厳しいと思う。紙がないのが原因とのことなので仕方ない側面もあるけど。



怖い話
  • 泥棒はまれに、でも確かにいた模様。
  • 津波で家が流された人もいれば、津波で家の中にモノを詰め込まれた人もいる。そういう場所は遺体も流れ着いていたりする。「20体くらい見た」とはそんな家の住人談。
  • 正確には距離を知らないが実家より山側に防風林のなれの果てがあったので、津波によって最低でも川を4km近く遡上していると思われる。
  • 幽霊らしきものが視えるという人は、いつにもまして不思議な体験多数。あとそんなもの信じない派だった友人の家族が取り憑かれたそうな。「正気であんな演技ができるわけねぇ。信じざるを得ない。」とは友人の談。



教訓になる話
  • 避難所に行くときはできるだけ市役所に近い方がよい。情報を入手しやすい。
  • 津波が来たときは遠くに逃げるより高台に逃げる方が有効。もちろん水位がどこまで上がるかによるけど、低い方へ優先して流れる。
  • 物流がストップしたとき食べたくなるのは高級なものではなく、普段食べていたものや食べられたはずのモノ。やけにパンが人気だったらしい。
  • 非常時は物々交換できるような人を捕まえると良い。残念ながら買い占めを非難しているだけで飯は食えない。
  • 津波に巻き込まれて頭まで水を被っても自力で木材などを押しのけて建物のアンテナに捕まり助かった人もいる。もちろんそのあとは低体温症にならないように気をつける必要がある。冷静さは大切。




その他いろいろ思ったこと
  • それなりのショックを受けて頭が回らないためか、それともランドマークなどがないためか、何もなくなった場所を見たとき、そこに何があったのか思い出せなかった。何度も行ってるはずなのに。結局一度寝たら風景を思い出せたんだけど、なんなんだろう…。
  • ここ2カ月間、遠隔地からの情報収集にはとても苦労した。今後はインターネットを経由した「情報の生産」と「情報の流通」体制がしっかり整ってくれたら嬉しいなぁ。
  • あと南相馬市という地名は本当にややこしいです…。今更だけど相対的な名前はあまり…
  • 震災の写真を特集した雑誌の中に、「相馬市壊滅」みたいに大げさに書いたものがあった(誌名はぼんやりなので確証を得たらその名前も書く)。煽るつもりで書いたなら「ゲス」という言葉を捧げたい。間違いなら「それでも報道なの?本当に現場行ったの?」と言いたい。




すでにある程度落ち着きを取り戻した状態とはいえ、精神的にはこたえました。

帰って来ないほうがいい、津波の跡地は見ない方がいい、
そう言われているのにお見舞いとして帰ったので後悔していないつもりだけど

「非日常」という感覚を受け止めきれなかったのかもしれません。


津波直後のひどい状況を見たわけでもなければ、
そこで自分が生活をしているわけでもないのに情けない話だ…。


でも被災した多くの方が
元に戻そう、前より良くしようと頑張っているわけですから
元気を出してできることから力になりたいです。

差し当たり帰省の頻度をあげてお手伝いとか
市から借りてた学費の借金をまとめて返すとかから始めるかなぁ


よし! やる!